"Yoshida Shoin" who fulfilled the role of life 命の役を遂げた「吉田松陰」
ある種の人びとは運命的な役割を背負って生まれて来ると言うことを、私は信じている。 「吉田松陰」という人もまさしく運命の人に違いない。明治維新の原動力となった人材を、若くして育て、 若くして死したこの人は、日本の歴史を影から動かそうとする裏の軍団のエースだったに違いない。 私が言っているのは、いわゆる「霊界」と呼ばれている肉体を持たない人びとの世界の事だ。 「霊界」といわれている世界については、諸説あり、人によりその捉え方は多種多様かもしれない。 私としては、肉体を失った世界が、肉体とともにあった世界と全く無縁であるとは考えない。 状態は変化しても、なんらかの繋がりは残るであろうし、もともと、繋がりを持って生まれているはずだと思う。日本という国の変化に非常に関心のある「魂」の集まりがあれば、何らかの対策をとっても当然 のはず。そうした人達がエースとして送り込んだのが「吉田松陰」ではなかったか。 彼を初めとする多くの若者が、命という肉体条件を超えて、志(こころざし)により、あの時代を駆け抜けたという事実はやはり只事ではない。「吉田松陰」はトップランナーだったのだ。 私のようなぐうたら人間でも、そんなことを考える。(2009) ■吉田 松陰/吉田 矩方(よしだ しょういん/よしだ のりかた)は、 日本 の 武士 ( 長州藩 士)、 思想家 、 教育者 、 兵学者 。一般的に 明治維新 の精神的 指導者 ・理論者として名が挙げられることが多い。贈 正四位 。 文政13年(1830年)8月4日、長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保5年( 1834年 )に叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の 養子 となるが、天保6年( 1835年 )に大助が死去したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた 松下村塾 で指導を受けた。 松下村塾において松陰は長州藩の下級武士である 久坂玄瑞 や 伊藤博文 などの面々を教育していった。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる 安政5年(1858年)、幕府が無勅許で 日米修好通商条約 を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である 間部詮勝 の 暗殺 を計画する。だが、弟子の久坂玄瑞、 高杉晋作 や桂小五