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Showing posts from April 1, 2023

Memories of Youth "Keiko Fuji"  青春の思い出「藤 圭子」さん

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Memories of Youth "Keiko Fuji" 青春の思い出「藤 圭子」さん Memories of Youth "Keiko Fuji"  青春の思い出「藤 圭子」さん この文章は、私が別のブログに書き記したものです。 私は、その昔(?)、藤 圭子さんの大ファンでした。歌の上手さも勿論ですが、やはりルックスっていうか、あの可愛さが魅力でした。 小柄な美少女でしたよね!浪曲師を親に持ち流れ流れて~という、その生い立ちのようなものも、わたしの心をひどく感動させました。 いい格好に聞こえるでしょうが・・・・、やはり、男には、ああいう感じ、つまり、不幸な生い立ち(実際にはそういうわけでも無いんでしょうが) を持った可愛い美少女を幸せにしてやりたいみたいなところが,・・・・あるんじゃないでしょうか。(やや汗) 当時、五木寛之さんが新聞のコラムに、記事を書かれて、ああいう知識人までが関心を持ったというようなことで、注目を浴びたように思います。 間違ってたらごめんなさい。五木寛之さんの書かれた内容は、私の記憶では~。「夜に、藤圭子の歌を聴いた。人生を知り尽くしたような心から 絞り出たような歌声に身震いした。奥さんも呼んで聴いてもらった。ひとつの時代に現れた仇花のような歌声だ。ただ、この様な歌声は長く歌手として 続けられないかも知れない。」というものだったと記憶している。五木寛之さんは、このとき藤圭子さんが少女歌手だとは知っておられなかったようだ。 こういう事もあって、藤 圭子さんは一躍トップスターになってしまった。私は若い頃、京都に居て、南座での彼女の初公演を見に行きました。 良い思い出になりました。実は今日NHKで「夫婦春秋」の歌をやってまして、聴いた後、You Tubeで村田英雄の「夫婦春秋」を聴いていて、そのつながりで 藤圭子の歌を聴き、昔を思い出したという訳です。You Tubeってのは便利なものですね。(2009) 「北国流れ旅」は本人が凄く気に入っていたB面の曲ということです! ■藤 圭子(ふじ けいこ、本名:阿部純子 1951年7月5日 - )は岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ちの演歌歌手。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げた。196

Hisaya Morishige, a master of Japanese emotional expression 日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」

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日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」さんが亡くなられましたね。残念ですね。芸域の広い森繁さんですが、私は彼の喜劇的な日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」面が、一番気に入ってました。社長シリーズや駅前シリーズが面白かったですね。暇になったら、また、じっくり楽しく昔の映画を楽しみたいと思っています。 今でも懐かしいですね。「知床旅情」は大好きです。 こう言ってはなんですが、森繁さん本人の歌唱が一番しっくりくるんですよ。(2009) ■2009年12月8日、日本政府は大衆芸能の発展に尽くし、多くの人材を育てた生前の功績を多とし、森繁久彌に対し、従三位に叙すると同時に国民栄誉賞を授与する閣議決定を行った[6]。国民栄誉賞の受賞は森光子以来18人目で、俳優での国民栄誉賞の受賞は、長谷川一夫、渥美清、森光子に次いで4人目。表彰式は12月22日に執り行われた。  駆け出しの放送作家だった向田邦子の才能を高く買い、自身のラジオ番組スタッフに抜擢し、本格的な放送作家となるきっかけを作った。その後『七人の孫』や『だいこんの花』シリーズなど多くの番組でタッグを組んだ。向田の墓石に刻まれた『花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る』の詩は森繁の作である。 『森繁自伝』で日本文芸家協会の推薦を受け会員となった。著書は単著で20数冊ある。 泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。 岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもある。 「小児麻痺に苦しむ子供たちを助けてあげたい」という思いから、伴淳三郎と共にチャリティー活動を始め、多くの俳優や歌手などの協力を得て街頭募金活動などを行った。それを法人化したのが『あゆみの箱』である。 射撃を趣味にしていた時期があった。所有していた散弾銃は、独創的な機構を持つイタリア製の銘銃「コスミ」であったことが射撃界では知られている。また芸能人・文化人の射撃好きで結成している『芸能文化人ガンクラブ』会長を結成以来務めていた。但し近年は健康上の理由もあり表舞台には出ず、会の運営は会長代行(2代目理事長)の高木ブー(ハワイアンミュージシャン)に委ねていたという。 ゴルフも若い頃にやっており、広島県東広島市の賀茂カントリークラブの設立に携わり初代社長も務めていた[7]。ちなみに賀茂カントリークラブには森繁のライフワークであったミュージカル『

Japanese "Yuki Saori" with a refreshing and reliable singing ability       爽やかな確かな歌唱力の日本人「由紀さおり」

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とにかく爽やかです!さわやかさの極致といった感じです。私の狭い知識のなかでは、エンヤとも共通するような心地よさがあります。 私の小さい頃は 安田 章子(やすだ あきこ)さんでした。 お姉さんの祥子とともに童謡を歌っておられましたね。 ずっと、あの天国イメージのあの声ですね。 「夜明けのスキャット」は世界的なヒット曲になりました。 この曲を聴いたときは、かなり衝撃的でした。 通常の歌謡曲的感覚でいた私は、エッ?と思ったんですが、 もちろん良いイメージのほうです。 いつ聴いても爽やかな気分に浸ることができます。 ウィキペディアにシンガー・ソング・コメディアンを自称と ありますが、最近は俳優としても活躍されてますね。 テレビで拝見しています。 どんどんのご活躍を! ■由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、 1948年 [注 1] 11月13日  - )は、 日本 の 歌手 、 タレント 、 女優 、 ナレーター 。 田辺エージェンシー ・安田音楽事務所所属。 少女時代から姉( 安田祥子 )とともに童謡歌手として活躍。 1969年 、 東芝音楽工業 より「 夜明けのスキャット 」で現在の芸名で再デビューし150万枚の大ヒットとなった。 1970年 には、「 手紙 」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、 第12回日本レコード大賞 の歌唱賞を受賞。国際的な知名度が高く、2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付の iTunes ジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得するなど、世界的に高く評価されている歌手である。シンガー・ソング・ コメディアン を自称。姉は声楽家の 安田祥子 で、二人で録音することや、同じステージに立つこともある。       出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 のお姉さん、アニメの声優、CMソング(300曲以上吹き込み)などで