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Showing posts from June 2, 2023

Straight person "Saneatsu Mushanokoji"     真っ直ぐなひと「武者小路実篤」

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私は、中学生の時、「武者小路実篤」の作品である「馬鹿一」に出会いました。感動しました。 私は「馬鹿一」の様になりたいと思いました。淡々と、ただ淡々とあるべくしてあるという風情の「馬鹿一」のように、周りを気にすることなく、己の信じる道を歩みたいと思いました。 読書感想文にも書きました。相手にされはしませんでした。しかし、私は満足でした。感動は自分のものですから。「武者小路実篤」といえば「友情」あたりが代表作かと思いますが、私はなぜか「馬鹿一」が大好きでした。 「武者小路実篤」は「新しき村」の活動や「仲良きことは善き事かな」(確かこのような言葉だったと思う) の色紙などでよく知られています。 私としては「馬鹿一」を生み出した真っ直ぐな人として尊敬しています。(2009) ■武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、本名同じ、 1885年 5月12日 - 1976年 4月9日 )は、 日本 の 小説家 。 仲間からは「武者」という愛称で呼ばれた。 位階 は 従三位 。 文化勲章 受章。授与された 称号 には 名誉都民 などがある。 日本芸術院 会員。 実篤は、白樺派の思想代名詞的存在であり、 理想主義 ・ 空想社会主義 的行動(前述の村建設など)が現実離れしているとして揶揄の対象とする人もいた。また、上流階級の子弟にありがちな気紛れで無責任とも取れる言動(自ら提唱した新しき村を僅か6年で離村している)も批判された事もある。一般的には、確固たる思想的裏付けが無く、近視眼的な理想主義・現実離れな言動で、軽率であるとの懐疑的な見方が多い。 代表作 『お目出たき人』1911年 『その妹』1915年 『友情』1919年 『幸福者』1919年 『人間万歳』1922年 『或る男』1921年 - 1923年 『真理先生』1949年 - 1950年 など     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「武者小路実篤」の評価は単純ではないようだが、私は、青春を彼の著作とともに歩んだし、「馬鹿一」に出会えたことで、すごく感謝しています。(2009)

A person who can be absorbed in "Sayuri Yoshinaga" のめり込める偉大な俳優「吉永小百合」

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私が高校生の頃、やはりファンのひとりではありました。「吉永小百合」。ビッグネームです。 「赤胴鈴之助」に出演していたことは、後から知りました。「キューポラのある街 」「 伊豆の踊子 」「 愛と死をみつめて 」の頃ですね。私の青春と重なっています。 「吉永小百合」さんって器用には思えません。ですが、真面目なんだと思います。一所懸命に役になりきろうとする姿勢が感じられます。おめり込む人なんですね。それが出来るんですね。集中力がすごいんですね。 集中し、のめり込むことで結果を残すというノウハウを真似したいです。 本当に日本的な、日本人の女優って感じですね。「日本人だからこそ解るその魅力」ってフレーズが出てきそうです。(2009) ■吉永 小百合(よしなが さゆり、本名:岡田小百合(おかだ さゆり)、 1945年 3月13日 - )は、 東京都 渋谷区 代々木西原町(当時)出身の女優である。そのファンは、「サユリスト」と呼ばれる。 吉田正 (作曲家)の門下生として、数多くの レコード を出している。 サユリスト [ 編集 ] 吉永のファンは「サユリスト」(『小百合』に『~主義者』や『人』を意味する英語の 接尾辞 『-ist』をつけた造語)と言われるが、「サユリスト」を自認する者は邦画ファンや一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在している。          出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 自分というものを冷静に捉えられる人のようです。頭の良い人ですね。 これからも、地道な活動を継続されて、元気で頑張って欲しいです。(2009)