Hisaya Morishige, a master of Japanese emotional expression 日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」
日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」さんが亡くなられましたね。残念ですね。芸域の広い森繁さんですが、私は彼の喜劇的な日本人的感情表現の達人である「森繁久弥」面が、一番気に入ってました。社長シリーズや駅前シリーズが面白かったですね。暇になったら、また、じっくり楽しく昔の映画を楽しみたいと思っています。 今でも懐かしいですね。「知床旅情」は大好きです。 こう言ってはなんですが、森繁さん本人の歌唱が一番しっくりくるんですよ。(2009) ■2009年12月8日、日本政府は大衆芸能の発展に尽くし、多くの人材を育てた生前の功績を多とし、森繁久彌に対し、従三位に叙すると同時に国民栄誉賞を授与する閣議決定を行った[6]。国民栄誉賞の受賞は森光子以来18人目で、俳優での国民栄誉賞の受賞は、長谷川一夫、渥美清、森光子に次いで4人目。表彰式は12月22日に執り行われた。 駆け出しの放送作家だった向田邦子の才能を高く買い、自身のラジオ番組スタッフに抜擢し、本格的な放送作家となるきっかけを作った。その後『七人の孫』や『だいこんの花』シリーズなど多くの番組でタッグを組んだ。向田の墓石に刻まれた『花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る』の詩は森繁の作である。 『森繁自伝』で日本文芸家協会の推薦を受け会員となった。著書は単著で20数冊ある。 泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。 岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもある。 「小児麻痺に苦しむ子供たちを助けてあげたい」という思いから、伴淳三郎と共にチャリティー活動を始め、多くの俳優や歌手などの協力を得て街頭募金活動などを行った。それを法人化したのが『あゆみの箱』である。 射撃を趣味にしていた時期があった。所有していた散弾銃は、独創的な機構を持つイタリア製の銘銃「コスミ」であったことが射撃界では知られている。また芸能人・文化人の射撃好きで結成している『芸能文化人ガンクラブ』会長を結成以来務めていた。但し近年は健康上の理由もあり表舞台には出ず、会の運営は会長代行(2代目理事長)の高木ブー(ハワイアンミュージシャン)に委ねていたという。 ゴルフも若い頃にやっており、広島県東広島市の賀茂カントリークラブの設立に携わり初代社長も務めていた[7]。ちなみに賀茂カントリークラブには森繁のライフワークであったミュージカル『