"Mayo Okamoto" who can be said to be a symbolic existence of Japanese women日本女性の象徴的存在とも言える「岡本真夜」さん。
ほんと。純粋、日本女性の象徴的存在とも言える「岡本真夜」さんの登場です。
上海万博のテーマソングに纏わる話題で注目度が俄然アップし、またそのキャラクターの人気もひとしお上がってますよ~。
くったくのないキャラクターが何とも素晴らしい「岡本真夜」さんですが、彼女の歌も、人柄そのものといえる爽やかなソングばかりですね!
大好きです。彼女の歌にケチをつける人もいないでしょうが~。
どういう風に詩や曲が出来るのでしょうか?
人によってそのスタイルはまちまちらしいんですが。詩が先に出来て後に曲を付けるタイプ、詩と曲が同時的に浮かんでくるタイプ、出来た曲に詩を付けるタイプ。
彼女の場合、同時的に出来上がってるような気がするのですが、どうなんでしょう?
そんなどうでもいいことを考える必要も無いんですが~。
彼女の歌を楽しめば良いんですよね!ね!(2009)
高知県中村市(現:四万十市)出身。名前の由来は真夜中に生まれたため。身長165cm。(現:四万十市)中村市立中村小学校、中村市立中村中学校、高知県立中村高等学校、2年より高知県立高知南高等学校へ転校。
小学5・6年生の時はバスケットボール部に所属[2]。中学2年生から吹奏楽部に所属[3]。子供の頃・少女時代に好きだったテレビ番組は『キャンディ・キャンディ』(テレビ朝日)[4][5]。
小学3年生から高校1年生の時までピアノ教室に通っていたこともあって[6]、ショパンやリストでレッスンを積み、ピアニストを目指していた。歌手を目指すきっかけは、高校1年生の時にラジオで「未来予想図II」を聞いたこと。それから、DREAMS COME TRUEの吉田美和の歌に憧れを持つ。それまで岡本は歌が嫌いだったが、密かに歌手になる夢を持つようになる[7]。
高校2年生時に高知市へ転居、高知県立高知南高等学校へ編入する。そこでは尊敬する多くの友人と出会うことになる。後に「そのままの君でいて」のモチーフとなる親友とも出会うこととなる。岡本とその親友は、背格好や性格などが似ており、双子や姉妹に間違われるほどであった。親友らの支え、また母が「つては有るけど、送ってみる?」と紹介したこともあり、岡本は自分の歌を録音したカセットを、現在も所属する芸能事務所に送る[8]。その後、返事が来て高校卒業後に東京に来ないかと言われ、デビューにつながる[9](ちなみに、高校時代の友人の中に、お笑いトリオビーグル38の能勢がいた。彼とは高校2年からの同級生で、上京後も交流が続いている)。
高校卒業後、反対する祖父母を押し切り、家出同然でアーティストを目指して上京。上京後、当初はボイストレーニングやアルバイトなどをしており、その頃(18歳)に作った曲が代表作でデビュー曲「TOMORROW」とC/W曲「BLUE STAR」だった。事務所から、作詞・作曲を100曲出来たらデビューをさせると条件を出される。多少の作曲は遊び程度にはしていたが、本格的な知識も無い状態でもあり、生活費を必死にアルバイトで稼ぐ中、楽器も無い最悪の環境で彼女が思いついたのは、鼻歌をカセットテープや自宅の留守番電話に録音することだった。
結局、100曲には満たないものの40曲の作曲を成し遂げる。「キャリアがある者が作れないような曲をあっさり出してくる。非常に幅の広い、しかも新鮮な曲です」と、当時の岡本の音楽プロデューサーに言わしめたほどのものだった。このことにより、彼女は作詞・作曲に徐々に自信を持てるようになる。デビューから5年目で初期の作品は未熟で恥ずかしい作品が多いとも語ってはいる(彼女を育て上げた祖父は2007年他界、祖母は現在も高知で健在)。
1995年5月にシングル「TOMORROW」で徳間ジャパンからデビュー。「TOMORROW」は、TBS系連続ドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌に起用される。また、その後オリコン集計の累計売上げが約177万枚まで伸び、出荷枚数は200万枚を突破する大ヒットを記録。第33回ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。翌年、第68回選抜高等学校野球大会の入場行進曲となった。
デビュー当初はテレビやラジオ等のメディア露出やライブを一切しなかったが、デビューした年の『第46回NHK紅白歌合戦』でメディア初出演を果たしている。
その後、「FOREVER」「Alone」「そのままの君でいて」「サヨナラ」などのヒット曲を放ち現在までに20枚のシングル、10枚のアルバム、1枚のミニ・アルバム、3枚のベスト・アルバムを発表。中山美穂や中森明菜のほか、同郷の広末涼子、島崎和歌子などに楽曲を提供し、アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマの作曲や森永製菓『小枝』のCM曲なども手がけ話題に。最近ではエッセイの執筆や写真展の開催なども行い、活動は多方面に広がっている。
2000年1月にコンサートの美術スタッフの男性と結婚し、同年11月に第一子となる男児を出産。ほどなくして音楽活動を休止していたが、翌2001年に活動を再開した。2015年12月31日のブログで、2年前に離婚していたことを公表[10][11]。
なお、所属レコード会社は1995年から2003年までは徳間ジャパン、2005年から2006年まではエイベックス(avex io)、2008年からは再び徳間ジャパンと同じ第一興商傘下の日本クラウンであった。2015年からはドリーミュージックに所属している[12]。
2016年にデビュー20周年を迎え、それを記念して、3月2日に「mayo」(マヨ)名義でピアニストとしてデビュー[1]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2009)
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